鈴木のブログ

読書メモとして。

日高昭夫「基礎的自治体と町内会自治会―『行政協力制度』の歴史・現状・行方」

 行政学の視点から、町内会自治会について分析した本。

 

 「町内会自治会」は、全国のほとんどの地域に存在している。全国で、なぜ似たような(しかし実際の運用には様々なバリエーションがある)制度が形成されたのか。

 

 近代的地方自治制度の出発点は、1888年に制定され、翌1889年から施行された市制町村制であった。市制町村制の公布に際して付された解説書「市制町村制理由」によると、「自治区は法人として財産を所有し之を授受売買し他人と契約を結び又其区域は自ら独立して之を統治するものなり」とされていた。これは「自治体」としての市町村の宣言である。

 

 一方で、市制町村制は、機関委任事務の受け皿としての市町村の役割を制度上明確にしたものでもあった。当初の規定は制限列挙的に事務を規定していたが、1911年の全文改正により、市町村長の権限を強化するとともに、機関委任事務を包括的に規定することとなった。

 しかし、1911年の改正により地方の負担が増大し、地方の反発が生じたため、1929年の改正により、市町村吏員に対する国政事務等の委任は必ず法律勅令をもって行うこととされた。

 ところが、戦時体制の下、再度市制町村制が改正され、「並従来法令又は慣例に依り及将来法律勅令に依り」が「及法令又は従来の慣例に依り」とされた。

 現代に至るまで、日本の地方自治制度は国と地方の「融合」の度合いの高さが特徴とされているが、そうした「融合型」の国地方関係はこうして市制町村制の基本設計の中に組み込まれていった。近年の地方分権改革の流れの中で機関委任事務は廃止され、自治体の事務は法定受託事務自治事務に分けられるようになっているが、機関委任の自由度を制約するような制度改正が戦前にも行われていたという点は興味深い。

 

 一方、行政と民間との関係はどうであったか。「市制町村制理由」では、「自治」の担い手として、いわゆる「名誉職」という形での私人の公的動員を期待していた。しかしながら、市町村の現場においては、制度導入の早い時期から区長報酬や費用弁償など事実上の「有給制」を採用するケースは少なくなかったようである。

 特に町村行政においては、町村吏員数のうち名誉職の比率が1936年には78%を超えるに至っていた。大都市を除く市町村においては、市町村行政を運営するための不可欠の要素として、「名誉職」の住民を「最大動員」するメカニズムがビルトインされ、相当程度機能していた、と考えられる。

 

 では、そのような国政事務の受け皿たる市町村において、私人を公的に動員してきた「行政区長制度」はどのように形成されてきたのか。

 1888年の市制町村制は、明治の大合併を前提とした「大市町村主義」の実現を施行の条件としていた。明治の大合併の結果生まれた合併町村において、旧町村が有していた公共的機能を制度化する役割を担ったものが、「区」と「区長」の制度であった。

 市制町村制においては、区長及び区長代理について、執行機関である市参事会及び町村長の事務のうち当該区域内の「事務を執行補助」する行政機関であることを明示している。ただ、当時の明治政府にとって、区長制度の法制化は市町村形成の経緯と現状にかんがみて「已むを得さるの便法」に過ぎず、積極的に推進する意図は弱かった。しかし、結果的には、大正期を中心に行政区長制度は全国化していく。

 その後、日中戦争が始まり戦時色が強まる中、1940年の内務省訓令第17号部落会町内会等整備要領が通達され、全国的に部落会町内会等の組織が整備確立されていく。1943年には市制町村制も改正され、市町村長の事務を町内会部落会に援助させることができることとされ、部落会町内会が法的根拠を得ることになる。これは、選択的制度として全国に波及した行政区長制度が、次第に官製の色合いの濃い部落会町内会制度へと変質していく過程である。

 敗戦後も、内務省は町内会部落会の存続を前提とした市制・町村制の改正を企図していたが、ポツダム政令第15号により、町内会部落会等の解散と公職追放が命じられる。しかし、実際には従来の町内会・部落会が形を変えて存続し、あるいはそれに相当する組織が結成されていくこととなる。

 

 と、ここまで町内会自治会の歴史的経緯に係る記述を中心にまとめてみた。(本書第5章)

 本書は歴史的経緯だけではなく、町内会自治会の現状に関するデータや事例研究など、様々な観点から町内会自治会を分析しており、大変読み応えがある。

 

 町内会自治会は明治の地方自治制度に起源を持ち、現在でも存続している制度である。基礎的自治体である市町村がこのような地域協働体制を必要とする理由の中には、市町村合併の負の側面を補完するための行政参加システムを提供する理由のほかに、一般に行財政リソースの恒常的不足を補完するという構造的な行政問題が横たわっている、と著者は指摘している。

 町会加入率の低下などは様々な地域で言われていることだと思うが、市町村が多様な市民ニーズに少ないリソースで対応することを求められ続ける以上、それを補完するための地域協働体制もまた必要とされ続ける、ということなのだろう。

デービッド・アトキンソン「新・観光立国論」

 

 外国人観光客数の増加が著しい昨今、国から自治体まで、どこもかしこも「観光、観光」と言っているような気がするが、その観光政策について、日本がとるべき方策を述べた本。著者は元ゴールドマンサックスのアナリストで、データに基づく指摘は簡潔で説得力がある。

 

 著者によると、「観光立国」の4条件は「気候」「自然」「文化」「食事」。日本はその全てを満たしている稀有な国である。ではなぜそのような好条件がそろう日本で、外国人観光客はたったの1,300万人しか訪れていないのか。

 それは、単純に観光政策に「力を入れてこなかった」からである。その上、海外にアピールすべきポイントを勘違いしている。

  例えば、日本のアピールポイントとして、「交通アクセスがいい」「治安がよい」「マナーがよい」などと言われることがある。しかし、考えてみれば、自分たちが外国に旅行するときに、そうしたことを観光の第一目的にするだろうか。

 「観光立国」であるためにいは、4条件全てを「フルメニュー」でそろえることが重要である、と著者は指摘する。これら4つをベースに置きつつ、それ以外を+αで載せていくことこそが必要である。

 

 また、日本の「おもてなし」がアピールされることもしばしばある。しかし、外国人の側から日本の「おもてなし」が評価されていることはほとんどない。むしろ、マニュアルにないリクエストがあると対応できないのが日本の法人のサービスだと言われているらしい。

 このような日本特有の「おもてなし」の根源は、「ゴールデンウィーク」というシステムにあるのではないか、と著者は推測している。ゴールデンウィークは、何もしなくても多くの日本人を国内観光に強引に送り出すシステムであり、その結果として、観光地には、短期間に大量の人を効率的にさばくというシステムが確立していったのではないか。そして、この「需要が一時期に集中する」というシステムのせいで、日本の観光業の設備投資は難しくなる。一時期の需要に対応させるために投資を行うと、それ以外の期間は過剰投資になるため、投資効率が悪化する、ということである。

 重要なことは、「多くの人をさばく観光」から「お金を落とす客にきてもらう観光」に発想を転換することである。

 

 そしてそのためには、観光マーケティングをしっかり行う必要がある。

 現状、日本を訪れる外国人観光客は、その約9割がアジアからの観光客である。アジアからの観光客に対しては、食・ショッピングを売りにして、しっかりアピールができている、と言える。

 一方、ヨーロッパやロシア、オーストラリアという先進国から日本に来る観光客は非常に少ない。そして、これらの国の人々は、一人当たり観光支出額が大きい「上客」である。加えて、これらの遠い国からの観光客は、長く滞在する傾向にある。観光客の支出の約半分が滞在のための費用(宿泊・食事)であるから、観光収入を増やすためには、これらの長期滞在する観光客をいかに呼び込むか、が重要である。

 よって、これらの国の人々を対象として、細かくセグメンテーションをした上で、それぞれどのように対応していくかを考える必要があるが、そこで重要になってくるのは「多様性」である。外国人を呼ぶためには、「あれもこれも」やらなければいけない。高級ホテルの用意や、富裕層向けの優遇措置などを設けることで、よりよいサービスを提供し、お金を落としてもらうことが必要である。

 

 

 本書では日本の観光施策について様々な指摘がなされるが、いずれも簡潔でわかりやすく、手厳しい。マーケティングをして、買い手のニーズをとらえて、求められているものをできるだけ効率的に売る、というのは、観光に限らずビジネスの基本なのだろう。

 「うちの地域には〇〇があるから、観光資源として使えるのではないか」というようなことは全国各地で言われているのではないかと思う。しかし、何かを売ろうとしたら、買い手の立場に立たなければものは売れないのだ、という当たり前の事実を肝に銘じておく必要がある。

新川敏光「同心円でいこう 田中角栄」

 「田中政治の軌跡を辿りながら、戦後民主主義を再考する」目的から書かれた一冊。エピソード豊富でかなりのボリュームがあるが、以下、目についた記述をメモ的に記載する。

 

 まずは生い立ち。新潟で産まれた角栄は、家社会の価値観がしみ込んだひ弱な、神経質で潔癖症の少年であった。後年の豪放で明るく、快活な性格は、後年自ら意識して身に着けたものであったらしい。

 その後16歳で上京、一時期兵役についた後、田中土建工業株式会社を立ち上げ、理研からの発注を受けて成長していった。

 田中の「私の履歴書」には、当時の様々なエピソードがつづられているが、当時の国内外の政治や経済状況に関する記述は一切出てこないらしい。このことから、著者は「田中にとって世界とは自分に直接関わる範囲の出来事である」と述べている。

 

 次に新憲法下で実施された選挙に出馬するが落選。戦後二回目の選挙で雪辱を果たす。このとき、田中は旦那政治の牙城であった都市部を避け、辺地・僻地を徹底的に回った。これにより、田中は旦那政治から疎外された庶民、都市部に対する農村の利益を代表する政治家となった。

 ただ、その後票の掘り起こしが進むにつれて、各地の田中党が越山会という後援会組織に一本化されていく。当初の田中党にあった草の根民主主義的色彩が弱まり、陳情と利益誘導の団体へと純化していく。加えて、1960年に生まれた越後交通(田中は筆頭株主で会長)が越山会の総本山として機能するようになる。

 ちなみに、田中に就職斡旋を受けた者たちを中心に組織された選挙マシーンとして、「誠心会」というものも存在したらしい。

 

 政策面から見てみると、田中の豊富なアイデアは、その議員立法に表れている。田中は、国土総合開発の重要性を説き、建設行政の一元化を主張した。そのハイライトが道路三法(道路法、道路整備緊急措置法、道路整備特別措置法)である。

 大蔵省の反対を押し切り、ガソリン税収入相当額を一般財源から道路予算に回すという案により、1953年に法案を成立させている。ガソリン税のアイデアは、建設省の官僚たちが田中に授けたものであったようだが、大蔵省の抵抗に立ち向かい、それを乗り越える政治家として、建設省は田中にすがったのであった。

 また、積雪対策としては1951年に積雪寒冷単作地帯臨時措置法を成立させている。

 

 1957年に、田中は岸内閣の郵政大臣として初入閣を果たす。初登庁するや郵政省以上に大きな全逓の看板を外させ、1958年の勤務時間に食い込む職場大会に対しては執行部7人の解雇を含む大量処分を行うなど厳しい対応をとる一方で、「香典」として3億円を拠出する。「戦うときには徹底的に戦うが、相手の命を奪うまではしない。必ず助けて、恩を売る。」のが田中流

 1961年には党政務調査会長として保険医総辞退問題に対処し、対する日本医師会の武見会長に白紙委任の提案書を届ける。捨て身の作戦に出ることで、相手の信頼を勝ち取っている。

 1962年には大蔵大臣に就任。課長や課長補佐級の若手官僚に教えを受けた。「総論ではなく各論、政策の総合調整ではなく具体的な仕組みと運用を勉強するのが田中流である。」

 

 著者は田中の政策アイデアの源泉について、「経験主義」によって特徴づけられるとする。ここでいう経験主義とは、「田中の発想は、自分が体験したり、観察したり、聞いたりしたことに基づいている」ということである。

 経験主義者田中角栄は、イデオロギー対立などというものを真に受けず、価値観の対立を利益の対立に、質的問題を量的問題へと転化し、「足して二で割る」。田中の発想そのものは経験の中で得たものであるが、それを政策として実現してしまうところに、誰にもまねできない田中の独創性があった。

 そして田中は、庶民の夢を実現するとともに、それによって自らも富と権力を得た。戦後民主主義は、井戸塀政治家ではなく、田中のような政治的事業家たちによって担われた。名望家によるエリート民主主義ではなく、政治的事業家による大衆民主主義こそが、戦後民主主義の姿であった。

 

 田中は首相になった後、日中国交正常化を実現する。竹入メモを読むまでは逡巡を重ねた田中であったが、ひとたび決断すると、再び揺らぐことはなかったという。田中が日中国交回復を決断できたのは、彼がイデオロギー的な反共主義者ではなく、経済的実利を求める経験主義者であったことによるところが大きい。

 

 なお、本書のタイトルである「同心円でいこう」は、創政会発足後、竹下が田中にあいさつに行った際にかけられた言葉である。田中は怒りながらも、反乱の首謀者を処分しなかった。

 

 ロッキード事件により、田中は悲劇のヒーローとして伝説となった。この悲劇のヒーローとしての田中伝説は、田中の元秘書、早坂茂三によって作り出された側面がある。田中伝説の要は、金権政治ロッキード事件である。

 元々自民党は、田中を「集金マシーン」としか捉えていなかった(by平野貞夫)。そんな田中の金の渡し方は、「現金を渡すときは、人目につかない場所を選び、直接本人に渡す」。これは金銭の価値が心理的なものであることを知り尽くしたしたたかな計算に基づく。一度金を受け取れば、田中の気持ちを受け取ったことになる。金は返さなくともよいが、恩は返さなければいけないのである。

 ロッキード事件について、謀略論は繰り返し再生産されているが、その源泉を探ると、田原総一朗アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」にたどり着く。しかし、田原も最後まで確実な証拠にたどり着くことはできていない。アメリカ側の資料を調べ、謀略論の裏付けが全くとれなかったという研究成果もあるようだ。

 

 本書のまとめとして、著者は「田中政治の本質は、友敵関係を徹底する排除の政治ではなく、全てを包み込もうとする包摂の政治にあったように思う。」と述べている。また、田中の愛弟子であった小沢一郎は、「(田中は)権力の本質、その使い方を知らなかった。…オヤジの欠点は、人のよさ、気の弱さだった」と指摘している。

 

 最後に、ポスト田中政治の行方として、著者は小泉政権に触れ、「小泉が新自由主義によって壊そうとしたのは田中角栄に代表される古いパターナリズムであったといえる。」と述べている。

 田中政治が「質的問題を量的問題へと転化」するものであったならば、田中派と対峙した小泉政治は、田中派的なもの、その支持基盤との対決を「郵政民営化」に集約することにより、逆に「量的問題を質的問題に転化」したものだったのだろうか。そして小泉の首相としての冷酷さは、田中にはなかった権力者としての強さだったのだろうか。

 以上、本書のメモをつらつらと書いてみて、そういえば、小泉純一郎について、ちゃんとした学者が書いた評伝はないのだろうかと思った。小泉政権については数多くの研究があるが、小泉純一郎という個人についての研究が見られないのは、まだ一応現役の政治家だからだろうか。小泉による田中角栄評など聞いてみたい気もする。

鈴木智彦「サカナとヤクザ」

 「サカナとヤクザ」という直球のタイトルに魅かれて購入。

 アワビやナマコ、ウナギといった水産物をめぐる密漁、密輸等々、「裏」の世界のルポは緊張感があって非常におもしろかった。

 

 そもそも日本の漁業は、漁獲規制が緩すぎて資源管理ができていないため、生産性が低い状況になっている(勝川「漁業という日本の課題」)。それに加えて、流通もトレーサビリティがしっかりしておらず密漁品が多数流入しているとなれば、水産業を「健全な」状態にするにはいったいどこから手を付ければいいのだろうか。消費者は商品を手にすることができ、流通業者は安く仕入れた商品を高く売ることができ、漁業者は漁獲高が上がらないことを密漁のせいにできる(実際密漁の要因はかなりあるのだろうが)。結果として日本の漁業資源は将来どうなってしまうのか。

 

 本書でも水産業暴力団とのかかわりがテーマになってはいるが、暴力団とつながりができるのは、そもそも不公正なルールの下での競争が存在するからなのかもしれない。「それぞれ仕事を持っている個人事業主の互助会、それがヤクザであり暴力団の姿である。」とは本書の言葉であるが、ヤクザどうこうを問題にするよりも、まずは公正なルールを作ることが必要なのだろう。

 

 ちなみに、本書によれば、日常的に密漁事案を手掛けるのは、海上保安庁直轄の、それぞれの地域に設置された海上保安部がメインとなる。

 国の省庁で言えば漁業政策自体は水産庁農水省)の所管であるが、海上保安庁国交省の外局である。本書では特段指摘はなかったと思うが、組織が違えば縦割りの弊害が発生することはよくあることであり、密漁対策にもそのような側面があるのかもしれない。

 

 また、タイミングを合わせたのかわからないが、今話題の築地市場に筆者がアルバイトとして潜入した際のルポもありなかなかおもしろい。

 例えば、「喫煙所はあるが誰も守っておらず、場内は実質、フリー・スモーキング」「ゴミはあたりかまわずその辺に放り投げる」など、築地で働く人たちのそもそもの衛生観念が低いレベルにあると思わせる記述がいくつかある。ワイドショーなどを見ていると「豊洲はこんなに使いづらい!」といったような報道が多くなされているが、築地がそんなにすばらしい市場だったのであれば、なぜ大量のネズミの住処になっているのか、よく考えてみる必要があるだろう。

植田和男・内藤滋編著「公共施設等運営権」

 

 最近いくつか実例がでてきた「公共施設等運営権(コンセッション)」について、その制度概要を概説した書籍。

 

 「公共施設等運営権」とは、いわゆるPFIの一種であり、公共施設等の運営をノウハウを持つ専門会社・専門家に任せることにより、その人材や経験、企画力、ネットワーク等を活用し、収益の増加・費用の縮減を図るものである。

 民間ノウハウを活用した公共施設等の運営といえば、従来から地方自治法上の制度として「指定管理者制度」が存在する。公共施設等運営権と指定管理者制度の大きな違いは、公共施設等の利用料金について、指定管理者制度が事前承認制を採用しているのに対し、公共施設等運営権では届出制を採用している点である(実施方針において上限・幅を規定)。これにより、利用料金を機動的に上げ下げできるようになっている。

 その他、詳細な条件についてはPFI法やガイドラインにおいて規定されているが、「運営」が対象であるため従来のPFIの中心的業務の一つであった施設の建設や製造が対象ではないこと、賃借権は運営権に含まれないこと(テナントに公共施設等を賃借するためには、運営権者がテナントに転貸する必要あり)、などとされている。

 ※ただし、本書では「不動産賃貸借契約を締結して賃料を得ることは、運営権の典型的な例である」としてガイドラインの規定に疑問を呈している。

 

 このように「公共施設等運営権」には様々な要件があるが、本書を読んでみると、そもそものPFIと同じように、新たな公民連携手法である本制度についても、公共と民間のリスク分担をしっかり検討しておく必要がある、ということがよくわかる。

 大きなリスクとしては「施設・設備に係る瑕疵・老朽化リスク」と「収入リスク(需要リスク)」の二つがあり、特に需要リスクについては、「これまでのPFI事業が中途で破綻した例は、いずれも需要リスクについての適切な予測、対応を怠ったと評価できるものである」と記述されている。

 公共施設等の運営において生じるリスクを如何に見込み、民間が参画できるように制度設計できるか、がこの制度の成否を左右するのだろう。

 (なお、PFIにおけるリスク分担については、「PFIの法務と実務」に詳しい。)

 

 その他、本書ではPFIの先進事例についてもいくつか触れられており、制度の概要やポイントがわかりやすくまとめられていて非常に参考になるところである。

 

 ちなみに、PFI法については、公共施設等運営権の導入を促進する観点から、平成30年度に改正がなされている。

PFI法の改正(平成30年) : 民間資金等活用事業推進室(PPP/PFI推進室) - 内閣府

 主な改正点は「公共施設等の管理者等及び民間事業者に対する国の支援機能の強化等」「公共施設等運営権者が公の施設の指定管理者を兼ねる場合における地方自治法の特例」「水道事業等に係る旧資金運用部資金等の繰上償還に係る補償金の免除」の三点となっている。

 特に二点目については、本書においても「運営権者が使用許可の権限を行使する必要がある場合には、指定管理者の指定を受ける必要がある」とされており、そのような場合の事務手続きを簡略化できることとなる。

 ※なお、本書では、運営権者が使用許可の権限を行使する必要があるのは、個別の公物管理法で使用許可が必要とされている場合に限られ、基本的には賃貸借契約で対応可能ではないか、とも記述している。

 

 また、下水道の公共施設等運営権導入に積極的に取り組んでいる浜松市では、市民向けの丁寧なQAを公表している。こちらも制度を理解する上で役立ちそう。

よくある質問/浜松市

山崎拓「YKK秘録」

 「YKKは友情と打算の二重奏」。加藤の乱失敗後の小泉の言葉が、YKKというものの性格を簡潔に表しているように思う。

 

  本書はYKKの一人である山崎拓が、YKKの誕生から終焉までを回顧したもの。

 YKKの誕生は1991年。加藤紘一が山崎に「党のこと、国家のことを腹蔵なく話し合える政策の同志作りをしたい。」「中曽根派と宏池会の他に、清和会から一人選んで、反経世会グループを作ろう」と持ち掛けたところから始まる。その後清和会から小泉純一郎を加え、赤坂の料亭「金龍」でYKKが発足する。この記述を見ると、発足当初から、YKKには「政策の同志」という「友情」の側面と、「反経世会の派閥連合」という「打算」の2つの側面が感じられる。

 

 著者である山崎の記述は淡々としており、あまり思いが強く出ているようなものではないが、そのことがかえって「書かれていないこと」を浮きあがらせているような気がする。

 例えば1995年の自民党総裁選、なぜ山崎・加藤は経世会の橋本を推したのだろうか?「橋本に格別の親近感があった」という記述はあるが、「YKKで応援する」とまで橋本に伝え、小泉ではなく橋本に乗った理由は何だったのか、本書の記述からはわからない。

 また、小渕の次に山崎・加藤が揃って総裁選に出ようとしたのはなぜなのか。その時は小泉は特段動いた形跡はなく、結局第一派閥の経世会、第二派閥の清和会が組んだことで小渕が圧勝している。

 そして、本書の最後、2003年の自民党総裁選後、山崎が幹事長を外されて副総裁となり、幹事長が清和会の安倍晋三になったとき、山崎本人はどのように思っていたのか。その後の選挙で落選し、「小泉・安倍枢軸の時代が訪れ、YKKの時代は事実上終焉した」という記述で本書は締めくくられているが、恨み言のようなものは書かれていない。しかし、本当に小泉を恨む気持ちはなかったのだろうか?

 本書を読んでいると、こうした疑問というか、違和感様々を感じるが、それは本書が「YKK」という視点からの記述であり、当時、政治改革を経て力が弱まり始めていたとはいえまだ強固なものであった「派閥」を正面から捉えていないからだろうか。

 自民党政権に関する文献は昔色々と読んだが、もう一度読み返してみたくなった。

 

 ちなみに本書は淡々とした記載ながら細かいおもしろ(?)ネタもいくつかあり、「YKKの会合では、いつも加藤が上座、小泉が下座」とか、「エアコンで院内の温度を上げ下げすることで、赤絨毯に寄生するダニを跳梁跋扈させ座り込みを続けられないようにした。」とか、ナベツネ氏が「俺も読売新聞100万部を動員して倒閣に走らざるをえない」と言っている場面があるなどなかなか興味深い。

 また、田中眞紀子更迭時の

 田中「まさか私を更迭すると言うんじゃないでしょうね」

 小泉(山崎に向かって)「山崎幹事長、そうなんだよなあ」

 山崎「そうです。総理はあなたを更迭するという決断をされたようです」

 というやりとりも非常におもしろい。郵政解散という博打に勝った勝負師小泉純一郎も、田中眞紀子を面と向かって更迭することはできなかった、ということなのだろうか。

 

 なお、YKK発足の地である赤坂の金龍を調べてみたところ、以下のような記事があった。どうやら2005年に一度閉店して、リニューアルした様子。

料亭「赤坂 金龍」が新業態で復活 ~「赤坂 金龍」の歩みと赤坂の花柳界・料亭事情~ - 赤坂経済新聞

https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130801/13090985/

林望「謹訳源氏物語 七 改訂新修」

  林望「謹訳源氏物語改訂新修」の第7巻を読了。

 

  源氏物語は学生時代に与謝野晶子訳を途中まで読んで挫折していたものの、最近になってこの林氏の訳を書店で見つけて読んでみたところ、非常に読みやすく、どんどん読み進めることができた。つい先日7巻が発売されたので早速購入。

 

  7巻は柏木の密通後から紫の上の死去、主人公である源氏の退場までを描く。人生のはかなさをしみじみと感じさせつつ、相変わらず?主人公である源氏のクズ具合はなかなかにひどい。

 

  特に自分を裏切った女三の宮にささやきかけた、

誰が世にか種はまきしと人問はばいかが岩根の松はこたへむ

という歌はシビれる。

  また、紫の上死去後に女三の宮→明石の御方の順にわざわざ出かけて行って、「やっぱり紫の上の方がいい…」などと言っているが、そもそも女三の宮、明石の御方は紫の上の心に最もダメージを与えた筆頭なのではないだろうか?ほとんど正室のような地位にあった紫の上を差し置いて正室となった女三の宮と、紫の上不在時に源氏と懇意になり挙句(自分の子どもを持たない紫の上に)娘を育てさせることになった明石の御方。その二人のところに順に会いに行く源氏の振る舞いには改めてちょっとゾッとするものがある。

 

  とはいえ主人公の源氏がこれで退場し、次巻からは宇治十帖に移る。いよいよ物語も終盤、次の発売が楽しみである。

 

  ちなみに、物語の本筋とは関係なくふと気になったのが、源氏物語にあまり星についての記述が出てこない点(見落としているだけかもしれないが)。あれだけ自然に心動かされている平安貴族は、星には感動しなかったのだろうか。占星術があって、あくまで星は分析の対象であって自然として愛でる対象ではなかった、とか?