鈴木のブログ

読書メモとして。

日高昭夫「基礎的自治体と町内会自治会―『行政協力制度』の歴史・現状・行方」

 行政学の視点から、町内会自治会について分析した本。

 

 「町内会自治会」は、全国のほとんどの地域に存在している。全国で、なぜ似たような(しかし実際の運用には様々なバリエーションがある)制度が形成されたのか。

 

 近代的地方自治制度の出発点は、1888年に制定され、翌1889年から施行された市制町村制であった。市制町村制の公布に際して付された解説書「市制町村制理由」によると、「自治区は法人として財産を所有し之を授受売買し他人と契約を結び又其区域は自ら独立して之を統治するものなり」とされていた。これは「自治体」としての市町村の宣言である。

 

 一方で、市制町村制は、機関委任事務の受け皿としての市町村の役割を制度上明確にしたものでもあった。当初の規定は制限列挙的に事務を規定していたが、1911年の全文改正により、市町村長の権限を強化するとともに、機関委任事務を包括的に規定することとなった。

 しかし、1911年の改正により地方の負担が増大し、地方の反発が生じたため、1929年の改正により、市町村吏員に対する国政事務等の委任は必ず法律勅令をもって行うこととされた。

 ところが、戦時体制の下、再度市制町村制が改正され、「並従来法令又は慣例に依り及将来法律勅令に依り」が「及法令又は従来の慣例に依り」とされた。

 現代に至るまで、日本の地方自治制度は国と地方の「融合」の度合いの高さが特徴とされているが、そうした「融合型」の国地方関係はこうして市制町村制の基本設計の中に組み込まれていった。近年の地方分権改革の流れの中で機関委任事務は廃止され、自治体の事務は法定受託事務自治事務に分けられるようになっているが、機関委任の自由度を制約するような制度改正が戦前にも行われていたという点は興味深い。

 

 一方、行政と民間との関係はどうであったか。「市制町村制理由」では、「自治」の担い手として、いわゆる「名誉職」という形での私人の公的動員を期待していた。しかしながら、市町村の現場においては、制度導入の早い時期から区長報酬や費用弁償など事実上の「有給制」を採用するケースは少なくなかったようである。

 特に町村行政においては、町村吏員数のうち名誉職の比率が1936年には78%を超えるに至っていた。大都市を除く市町村においては、市町村行政を運営するための不可欠の要素として、「名誉職」の住民を「最大動員」するメカニズムがビルトインされ、相当程度機能していた、と考えられる。

 

 では、そのような国政事務の受け皿たる市町村において、私人を公的に動員してきた「行政区長制度」はどのように形成されてきたのか。

 1888年の市制町村制は、明治の大合併を前提とした「大市町村主義」の実現を施行の条件としていた。明治の大合併の結果生まれた合併町村において、旧町村が有していた公共的機能を制度化する役割を担ったものが、「区」と「区長」の制度であった。

 市制町村制においては、区長及び区長代理について、執行機関である市参事会及び町村長の事務のうち当該区域内の「事務を執行補助」する行政機関であることを明示している。ただ、当時の明治政府にとって、区長制度の法制化は市町村形成の経緯と現状にかんがみて「已むを得さるの便法」に過ぎず、積極的に推進する意図は弱かった。しかし、結果的には、大正期を中心に行政区長制度は全国化していく。

 その後、日中戦争が始まり戦時色が強まる中、1940年の内務省訓令第17号部落会町内会等整備要領が通達され、全国的に部落会町内会等の組織が整備確立されていく。1943年には市制町村制も改正され、市町村長の事務を町内会部落会に援助させることができることとされ、部落会町内会が法的根拠を得ることになる。これは、選択的制度として全国に波及した行政区長制度が、次第に官製の色合いの濃い部落会町内会制度へと変質していく過程である。

 敗戦後も、内務省は町内会部落会の存続を前提とした市制・町村制の改正を企図していたが、ポツダム政令第15号により、町内会部落会等の解散と公職追放が命じられる。しかし、実際には従来の町内会・部落会が形を変えて存続し、あるいはそれに相当する組織が結成されていくこととなる。

 

 と、ここまで町内会自治会の歴史的経緯に係る記述を中心にまとめてみた。(本書第5章)

 本書は歴史的経緯だけではなく、町内会自治会の現状に関するデータや事例研究など、様々な観点から町内会自治会を分析しており、大変読み応えがある。

 

 町内会自治会は明治の地方自治制度に起源を持ち、現在でも存続している制度である。基礎的自治体である市町村がこのような地域協働体制を必要とする理由の中には、市町村合併の負の側面を補完するための行政参加システムを提供する理由のほかに、一般に行財政リソースの恒常的不足を補完するという構造的な行政問題が横たわっている、と著者は指摘している。

 町会加入率の低下などは様々な地域で言われていることだと思うが、市町村が多様な市民ニーズに少ないリソースで対応することを求められ続ける以上、それを補完するための地域協働体制もまた必要とされ続ける、ということなのだろう。