鈴木のブログ

読書メモとして。

片山善博・糸賀雅児「地方自治と図書館」

 

 「市民の自立支援に向けて図書館や司書が果たすべき役割と可能性について、鳥取県知事・総務大臣を務めた地方自治の泰斗片山と、図書館政策論の第一人者糸賀が、地方自治、地域づくりの観点から縦横に論じ合う」本。

 図書館の在り方については、最近では武雄市などの「ツタヤ図書館」等が話題になっているが、今後の図書館のあるべき姿を考える上で参考になるのではと思って手に取った。

 

 片山によれば、図書館のミッションは「自立支援」にある。単なる「無料貸本屋」ではなく、国民・住民が自立するための「知的インフラ」としての役割が図書館には求められる。

 例えば、地方自治法は第100条で議会図書館の設置を義務付けている。

 議会は、議員の調査研究に資するため、図書室を附置し前二項の規定により送付を受けた官報、公報及び刊行物を保管して置かなければならない。」(第100条第19項)

 自治法第100条は、いわゆる百条調査権の根拠規定でもある。議会図書室設置の根拠が百条調査権と同じ条文中に規定されているということは、議会図書室設置の意義が議会及び議員のミッションである調査活動を資料情報面で支えることにある、ということを意味している。執行部側から出てくる情報だけを頼りに判断するのではなく、資料や情報に関して「対抗軸」を持つために、議会図書室は必要なのである。

 

 また、 糸賀は、新しい図書館モデルとして、「課題解決型図書館」という考え方を提示している。

 これまでの図書館経営は、質を問わない「貸出」を強調してきた。しかし、「貸出」を強調する図書館経営は、本を使って調べること、読書を通じて考えることといった利用者の知的営みが、民主主義社会や地方自治体の課題解決にどのように結びついていくのか、その道筋に関心を寄せることを自ら拒んでしまった。その結果、読まれそうな本をそろえて、借りられていくのを待つ図書館の姿勢に、現代社会は飽き足りないものを感じている。(そうしたものの現れの一つが、「ツタヤ図書館」に見られるような図書館の運営体制なのかもしれない。)

 それに対し、糸賀が提示する「課題解決型図書館」は、市民の課題解決につながる蔵書を収集し、その有効活用をうながす独自のコンテンツを作成・発信し、「貸出」に限られないサービスを提供していくような図書館の在り方である。

 そして、そのような図書館を実現していくためには、司書の専門性が発揮される必要があるし、何より市民の抱える課題はどこにあるのか、それを解決していくためには何が必要なのか、という幅広い「知恵」のようなものが必要になる。

 

 

 武雄市の図書館は人を呼び込み、利用者の満足度を向上させることに成功しているが、それは本書で片山・糸賀が提示しているような図書館の在り方とは違うのだろう。

 ただ、いずれの在り方にも共通しているのは、図書館はただの「貸本屋」ではなく、市民にとって何らかの、しかしはっきりとした「価値」を提供しなければいけない、という思いなのではないか。図書館によってその地域に何を実現するのか、それは地域によって様々かもしれないが、何かを実現するんだ、という明確なミッションを持つ必要がある。

 

 

 と、本書を読んでこれからの図書館の在り方について少しはイメージができた気がするが、そもそも「図書館」なるものが何を目的にしてつくられてきたのかが気になったので、西崎恵「図書館法」(1970年、日本図書館協会)を手に取ってみた。

 この本は、元々図書館法の解釈とねらいを解説するために1950年に発行されており、著者の西崎氏は当時の文部省社会教育局長である。

 概論によれば、「教育は本来、国民の生活全般の基調を形成する非常に広いものであるにかかわらず、狭義の学校教育のみが大きくとりあげられて、学校以外の社会において行われる、いわゆる社会教育がややもすると国民の関心の外にあったことは、何といっても残念」「社会教育の中にその不振であった理由を求めると、まず考えられるのは、社会教育が行われる場所の中心となる施設が極めて貧弱であった」と社会教育自体についての問題意識が述べられている。現代では、施設については当時と比べて格段に充実していると思われるが、社会教育に対する国民の意識はどうだろうか。

 そして、図書館については、「図書館を利用する者は、一部の学者か学生、生徒で、本来は住民すべてのものでありながら、学校か研究所の附属施設のようになっていたのではなかろうか」とその閉鎖性が課題として挙げられている。(このあたりの閉鎖性への反動として、市民に開かれた図書館が目指され、その結果、貸出しを重視しすぎる図書館の在り方がうまれてきたのかもしれない。)

 そうした問題意識を踏まえ、新しい図書館の運動を国民全部の世論に基づくものとして展開するため、図書館法が制定された、とされている。

 

 そもそも、図書館法と同時期に制定された社会教育法の趣旨は、「およそ社会教育の具体的活動自体は、国民相互の間において自主的に行われる自己教育活動であって、国や地方公共団体は、その国民の行う教育活動が本当に実り豊かなものになるように、側面からこれを助長奨励してゆく」ところにある、とされる。

 このあたりのイメージは、片山や糸賀の「自立支援」「課題解決型」といった図書館の在り方と重なるような気がする。

 「社会教育」は教育委員会だけが所管するような狭い範囲の話ではなく、より幅広く、国民生活、市民生活に根差した概念としてイメージすべきものなのだろう。そもそもの社会教育法の趣旨に立ち返って、今後の図書館の在り方を考え直してみるのもいいかもしれない。