鈴木のブログ

読書メモとして。

山崎拓「YKK秘録」

 「YKKは友情と打算の二重奏」。加藤の乱失敗後の小泉の言葉が、YKKというものの性格を簡潔に表しているように思う。

 

  本書はYKKの一人である山崎拓が、YKKの誕生から終焉までを回顧したもの。

 YKKの誕生は1991年。加藤紘一が山崎に「党のこと、国家のことを腹蔵なく話し合える政策の同志作りをしたい。」「中曽根派と宏池会の他に、清和会から一人選んで、反経世会グループを作ろう」と持ち掛けたところから始まる。その後清和会から小泉純一郎を加え、赤坂の料亭「金龍」でYKKが発足する。この記述を見ると、発足当初から、YKKには「政策の同志」という「友情」の側面と、「反経世会の派閥連合」という「打算」の2つの側面が感じられる。

 

 著者である山崎の記述は淡々としており、あまり思いが強く出ているようなものではないが、そのことがかえって「書かれていないこと」を浮きあがらせているような気がする。

 例えば1995年の自民党総裁選、なぜ山崎・加藤は経世会の橋本を推したのだろうか?「橋本に格別の親近感があった」という記述はあるが、「YKKで応援する」とまで橋本に伝え、小泉ではなく橋本に乗った理由は何だったのか、本書の記述からはわからない。

 また、小渕の次に山崎・加藤が揃って総裁選に出ようとしたのはなぜなのか。その時は小泉は特段動いた形跡はなく、結局第一派閥の経世会、第二派閥の清和会が組んだことで小渕が圧勝している。

 そして、本書の最後、2003年の自民党総裁選後、山崎が幹事長を外されて副総裁となり、幹事長が清和会の安倍晋三になったとき、山崎本人はどのように思っていたのか。その後の選挙で落選し、「小泉・安倍枢軸の時代が訪れ、YKKの時代は事実上終焉した」という記述で本書は締めくくられているが、恨み言のようなものは書かれていない。しかし、本当に小泉を恨む気持ちはなかったのだろうか?

 本書を読んでいると、こうした疑問というか、違和感様々を感じるが、それは本書が「YKK」という視点からの記述であり、当時、政治改革を経て力が弱まり始めていたとはいえまだ強固なものであった「派閥」を正面から捉えていないからだろうか。

 自民党政権に関する文献は昔色々と読んだが、もう一度読み返してみたくなった。

 

 ちなみに本書は淡々とした記載ながら細かいおもしろ(?)ネタもいくつかあり、「YKKの会合では、いつも加藤が上座、小泉が下座」とか、「エアコンで院内の温度を上げ下げすることで、赤絨毯に寄生するダニを跳梁跋扈させ座り込みを続けられないようにした。」とか、ナベツネ氏が「俺も読売新聞100万部を動員して倒閣に走らざるをえない」と言っている場面があるなどなかなか興味深い。

 また、田中眞紀子更迭時の

 田中「まさか私を更迭すると言うんじゃないでしょうね」

 小泉(山崎に向かって)「山崎幹事長、そうなんだよなあ」

 山崎「そうです。総理はあなたを更迭するという決断をされたようです」

 というやりとりも非常におもしろい。郵政解散という博打に勝った勝負師小泉純一郎も、田中眞紀子を面と向かって更迭することはできなかった、ということなのだろうか。

 

 なお、YKK発足の地である赤坂の金龍を調べてみたところ、以下のような記事があった。どうやら2005年に一度閉店して、リニューアルした様子。

料亭「赤坂 金龍」が新業態で復活 ~「赤坂 金龍」の歩みと赤坂の花柳界・料亭事情~ - 赤坂経済新聞

https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130801/13090985/