鈴木のブログ

読書メモとして。

金惺潤「不動産投資市場の研究―1992年から2011年の市場変遷と投資行動の二十年史」

 

 タイトルのとおり、1992年から2011年にかけて、日本の不動産投資市場はどのように変わってきたか、様々な不動産流動化プレイヤーの動きを追いながら描く。600ページを超える大作である。

 

 本書は80年代バブル後から、不動産流動化をキーワードに各プレイヤーの動きを丁寧に追いかけているが、最後のほうで4つの時点の不動産投資市場の熟度をまとめているので、それを中心に全体の流れを振り返ってみる。

 

 まずは1996年時点である。当時、日本には明確な不動産投資市場は存在していなかった。計画的に投資を実行するプロの不動産投資家は総合デベロッパーや生保などごく一部の投資家のみで、投資インフラはほとんどなかった。

 マクロ経済を見てみれば、85年プラザ合意を発端とした80年代バブルの発生、国内金融機関による不動産関連融資への傾斜、そしてバブル崩壊。90年代前半から中盤までは、80年代バブル崩壊に有効な対策を打てず、失われた20年がはじまる。日本経済の中心テーマは不良債権問題となり、不動産流動化の必要性も訴えられたが前進しなかった。

 

 次は01年時点。米系プレーヤーが参入し、急速に様々な投資家、投資商品、エージェントが登場する。私募ファンドやJ-REITなどの投資商品が立ち上がり、投資インフラの整備も進んでいく。

 不動産流動化は96年以降動き出す。97年2月に発表された新総合土地政策推進要綱はサブタイトルに「地価抑制から流動化促進へ」を掲げ、建築確認申請の手続きの民間開放等が進められた。

 90年代後半、不動産流動化政策と並行して不動産証券化の仕組みづくりも進められる。不動産証券化は「SPCを介したノンリコースローン調達やオフバランス化」などと説明され、「不動産証券化により不動産は金融商品になる」とされた。

 95年4月には「不動産事業者などが特定不動産の開発や運営を行う際、機関投資家個人投資家から資本を募り、不動産事業者の資金面の負担を減らすとともに、投資家に投資運用益をもたらす法律」である不動産特定共同事業法が施行。98年にはSPC法(特定目的会社による特定資産流動化に関する法律)が施行される。法人格を明確にし、投資家の責任を限定するために利用されるSPCは、事実上法人税が非課税となるなどの税の優遇措置が図られた。

 98年には改正投信法が誕生。投資信託の対象に不動産を加えることが可能となり、会社型の投資法人J-REITに活用される。01年3月に東京証券取引所J-REIT市場を創設し、J-REITの下地整備が完了する。J-REITは、極めて小口化された商品であるため流動性が高く、一方で賃料収入を配当原資とするため安定的な配当が期待され、「株と債券の中間の存在」と表現される。他の不動産証券化手法と同様、J-REITにも賃料などから得られる利益の90%超を配当すれば、法人税が課されない税的優遇が適用された。

 00年3月には定期借家制度の導入を柱として借地借家法を改正する「良質な賃貸住宅等の供給促進に関する特別措置法」が施行。オーナー・家主の権利がテナント・賃借人に比べて非常に弱いという日本型商慣行が、不動産の賃貸事業のインセンティブを削いでいるという認識の下での法改正であった。

 

 次のポイントは2006年である。01年までに生み出したアイテムが十分に機能し、好況期であり過熱期であった06年はその充実がピークに近づいた時期であった。

 2000年代初頭、東京オフィス市場はかつてない大量供給時代を迎え、2000年には都心5区のオフィス平均空室率は3%台となる。分譲マンションも大量に供給され、1都3県で8万戸水準の供給が継続する。

 21世紀の不動産市場は、現物不動産を主な投資対象とし、特に都心部の大規模オフィスビルといった優良不動産が主な投資対象となった。不動産事業者や不動産ファンドが売り手として台頭。エクイティ投資家らの意思決定の中心は、従来の路線価や公示地価ではなく、収益還元法によって決定される投資利回りであり、その中核がキャップレート(=純収益NOI/資産価値)であった。

 小泉政権における都市再生特別措置法施行や不良債権処理、不動産鑑定評価基準の改正(収益還元法としてDCF法と直接還元法を規定)といった金融・都市政策も不動産投資市場を後押しした。

 懸念されていた03年問題も杞憂であったことが明らかとなり、04年にはキャップレートが4%台となり、05年に入ると都心部Aクラス物件のキャップレートは3%台に達し、06年以降はオーバーヒート状態となる。(ちなみに、2019年4月現在の「不動産投資家調査」(日本不動産研究所)によれば、東京(丸の内、大手町)のAクラスビルの期待利回りは3.5%であった。これはオーバーヒート状態なのだろうか…)

 力強く回復する株式市場と、好調な不動産ファンダメンタルズは、J-REITを一変させ、投資口価格が上昇、新たに上場する法人も相次いだ。ただ、投資口価格の変動が大きすぎたため、期待されたようなミドルリスク・ミドルリターンは実現できなかった。

 このような不動産投資市場の過熱状態を見て、規制ルール緩和から強化への流れも生まれてくる。04年12月改正証券取引法施行、改正信託業法施行。06年1月のライブドア事件をきっかけにSPCなどの会計ルール見直しが始まる。06年3月からは固定資産の減損会計が上場企業などに強制適用される。07年6月には改正建築基準法施行、建築確認審査の厳格化により新規住宅着工数が落ち込んだ。07年9月には金融商品取引法が改正され、いわゆる「ファンド」が登録・届出を義務付けられた。

 それでも不動産需給はタイトな状態が続き、東京のオフィス市場はかつてない空室率を維持、分譲マンションの旺盛な需要により分譲マンションディベロッパーの利益率も飛躍的に伸びた。ただ、一方で住宅購入者の給与は減少の一途をたどっていた。

 こうして90年代後半以降の不動産投資市場は、07年前半にピークを迎えることとなる。

 

 その後、4つ目のポイントは2011年である。

 08年以降、サブプライムローン問題が表面化し、09年に入ると急速にマクロ経済が悪化していく。新興プレーヤーが連鎖的に倒産し、キャップレートも12年ぶりに上昇した。なお、オフィス需要が劇的に減少し、オフィス賃料が厳しい下落圧力にさらされたのに対し、賃貸住宅が生み出すキャッシュフローはほとんど変化せず、投資大正としての価値が再度確認されることとなった。

 このような金融危機を通じて、投資商品についてはフルエクイティファンドをはじめとしたコアファンド等が開発され、投資家層については韓国・中国・東南アジアなどの海外投資家が加わっていった。地方物件や小規模物件などは、プロ投資家が参加する不動産投資市場からは遮断されていく。

 

 

 以上のようにして、日本の不動産投資市場は「発展」してきた。不動産証券化により、小口化が進み、流動性が生まれ、様々な投資家の投資機会が拡大した。不動産投資市場への資金流入が増えることで、新たな開発や都市再生が促進された効果も認められる。

 一方で、不動産投資市場が発展する過程においても、投資対象アセットの地域的分布は大きく変化しなかった。「日本における不動産投資」は、「東京における不動産投資」とほぼ同義である。そして、今後もグローバルな不動産投資市場において東京の競争力を高めるためには、都心の人口密度を高め、成長を継続することが必要である。(このあたり、冨山氏のG型L型論を思い出される。グローバル市場での競争が求められる「東京」の不動産投資と、それ以外の地方における不動産投資ではその市場の構造が違う、ということだろうか。)

  不動産投資インフラについてみてみると、個別保有不動産のデータを公表しているJ-REITの成長により、入手可能な市場データの量は圧倒的に増加した。鑑定評価制度については、不動産投資市場が大きく変わったのに対し、鑑定の教育制度は数十年に渡り変化がなく、時代遅れと言われている。

 

 このような市場の動きを踏まえ、本書ではいくつかの「教訓」が挙げられている。

 不動産の価格は将来賃料と将来キャップレートから決定される。将来賃料の予測には不動産ファンダメンタルズに精通する必要があり、将来キャップレートを読むには不動産以外のアセットクラスを含む資本市場全体の動きを見なければならない。

 また、意思決定のスピードについてはしばしば重要と言われることがあるが、他のプレーヤーとの差別化要素となりうるのは、競合に対して明らかな優位性があり、かつ利益に直結する要素であり、簡単に模倣されない独自性・持続性がなければならない。不動産投資市場のプレーヤーのうち、意思決定の速さを武器にトップに駆け上がったプレーヤーは歴史上皆無である。

 そして、結局のところ、不動産投資市場のプレーヤーの命運を決めるのは資金流動性である。

 

 

 以上、制度の変化を中心に、ごくごく簡単に本書をまとめてみた。実際には様々なプレーヤーの動きも細かく記述されており、(個人的には各社の名前が覚えられずあまり内容を理解できていないが、)制度以上にカネをめぐってめまぐるしく混沌と動く「市場」の姿が描き出されているように思う。

 教訓の部分はややありきたり感があるというか、「結局は資金流動性」などと言われるとなにやら身もふたもないような気もするが、「不動産投資の基本は、空室リスクと賃料変動リスクをとることでリターンを得ること」であるならば、市場の在り方がどうあれ、そうしたリスクをどのように評価し、動くか、というところに成功と失敗の分岐点があるという単純な話なのかもしれない。